南ガス回廊(Southern Gas Corridor)は、アゼルバイジャン沖のシャフデニズ・ガス田の天然ガスを、ジョージアとトルコを経て欧州まで運ぶパイプライン群の総称である。1本の管の名前ではなく、ガス田の開発と3本のパイプラインを合わせた事業の束を指す。カスピ海側から順に、ジョージアを横断するサウス・コーカサス・パイプライン(SCP、バクー・トビリシ・エルズルム)、トルコを東西に貫くTANAP、ギリシャからアルバニアを経てアドリア海を渡りイタリア南部へ至るTAPがつながる。2018年6月にトルコ向け、2020年12月に欧州向けの商業供給が始まった。
総投資額はおよそ400億ドル、新設した管の延長は3,200キロを超える。2022年以降、欧州がロシア産ガスからの脱却を進めるなかで、この回廊の戦略的な位置づけは大きく上がった。ただし回廊の経済は、ガスの販売そのものよりも、トルコ領内の通過料に大きく依存している。この構造を知らずに「欧州向け増量」の議論だけを追うと、誰の収入がどこで生まれているかを見誤りやすい。
| 構成 | シャフデニズ・ガス田(SD1・SD2)→ サウス・コーカサス・パイプライン(SCP/SCPX)→ TANAP(トルコ横断)→ TAP(アドリア海横断)の4事業 |
|---|---|
| 総投資額 | 約400億ドル(TANAP公表)。新設したSCPX・TANAP・TAPの合計延長は3,200キロ超 |
| SCP | 692キロ(アゼルバイジャン443キロ、ジョージア249キロ)、42インチ。2006年にトルコ国境へ初送ガス。年74.1億立方メートル |
| SCPX(拡張) | 48インチの新線489キロとジョージア領内の圧縮機2基。2018年6月30日稼働。合計能力240.4億立方メートル、最大340億立方メートルまで拡張可能 |
| TANAP | トルコ北東部トルコギョズ(ジョージア国境)からエディルネ県イプサラ(ギリシャ国境)まで1,811キロ、56インチ。年160億立方メートル(最大310億立方メートル) |
| TAP | ギリシャ・トルコ国境からイタリア南部まで877キロ(ギリシャ550キロ、アルバニア215キロ、アドリア海105キロ)。48インチ(海底とイタリアは36インチ)。当初能力100億立方メートル、設計上は200億立方メートルまで |
| 欧州向け開通 | 2018年6月30日にトルコ向け、2020年12月31日に欧州向けの商業供給を開始 |
| 事業主体 | 南ガス回廊CJSC(SGC)。2014年2月25日の大統領令287号で設立。2026年時点の株主はSOCAR 51%、経済省49% |
| TANAPの株主 | SGC 51%、BOTAŞ 30%、BP Pipelines (TANAP) 12%、SOCARカスピアン・ホールディング 7% |
| TAPの株主 | BP、SOCAR、Snam、Fluxys、Enagásが各20% |
| 輸送実績 | TAP経由の欧州向けは商業運転開始から累計600億立方メートル超、うちイタリア向け500億立方メートル。SCPは2026年1〜7月に133億8,510万立方メートル(前年同期比1.3%増) |
| SGCの財務 | 2025年の収益29億8,620万ドル、当期純利益16億3,085万ドル、総資産146億ドル(監査はアーンスト・アンド・ヤング) |
3本のパイプラインがどうつながっているか
ガスの出発点はバクー沖のシャフデニズ・ガス田で、生産分与契約は1996年に署名された。第1段階(SD1)の生産は2006年に始まり、全面開発である第2段階(SD2)は2013年12月に最終投資決定を経て、プラトー時に年160億立方メートルを上積みする。ガスは海底パイプラインでバクー南方55キロのサンガチャル・ターミナルへ運ばれ、一部は国内網へ、残りが輸出に回る。
陸上の第1区間がSCPである。全長692キロ(アゼルバイジャン443キロ、ジョージア249キロ)、口径42インチで、2006年にトルコ国境へ初のガスを送った。原油のバクー・トビリシ・ジェイハンと同じ回廊に敷設されている。SD2の増産に合わせて、48インチの新線489キロとジョージア領内の圧縮機2基を加える拡張(SCPX)が行われ、2018年6月30日に稼働した。これで能力は240.4億立方メートルへ3倍以上になり、必要なら340億立方メートルまで引き上げられる設計になっている。
第2区間がTANAPである。ジョージア国境のアルダハン県トルコギョズから20の県を通り、ギリシャ国境のエディルネ県イプサラまで1,811キロ、口径56インチで、トルコ国内では最長・最大口径のガスパイプラインにあたる。能力は年160億立方メートルで、最大310億立方メートルまで拡張できる。2018年6月にトルコ向けの商業供給(フェーズ0)が始まり、2019年11月にイプサラまでの欧州接続(フェーズ1)が完成した。
第3区間がTAPである。イプサラでTANAPと直結し、ギリシャ550キロ、アルバニア215キロ、アドリア海の海底105キロを経てイタリア南部プーリア州へ上陸する。全長877キロ、口径はギリシャとアルバニアで48インチ、海底とイタリア国内で36インチである。最高標高はアルバニア山中の2,100メートル、最深部はアドリア海の水深810メートルに達する。当初能力は年100億立方メートルで、設計上は200億立方メートルまで拡張できる。
だれが持っているか
アゼルバイジャンの持ち分をまとめて保有するのが南ガス回廊CJSC(SGC)である。2014年2月25日の大統領令287号により、資本金1億ドル、国51%・SOCAR49%で設立された。2024年12月10日の大統領令389号で国の持ち分の2%分がSOCARの資本へ移され、2026年時点ではSOCARが51%、経済省が49%を持つ。実務の操業はSGCに代わってSOCARが担う。
SGCの2025年末時点の構成は、SGCアップストリームとSGCミッドストリームが各100%、トルコのTANAP社が51%、スイスのAzTAP社が100%で、AzTAP社を通じてTAP AGの20%を保有する。ガス田側ではシャフデニズの権益16.02%、SCPの権益21.02%、ガスの販売を担うアゼルバイジャン・ガス供給会社(AGSC)の12.816%を持つ。シャフデニズの権益は、2024年8月30日にハンガリー政府系のMVMアップストリームへ5%(AGSCは4%)を売却して現在の比率になった。
国の持ち分の資金は国家石油基金(SOFAZ)が出している。設立時の1億ドルの資本金に対し、SOFAZは2014年4月14日に5,100万ドルを拠出した。その後は2か月ごとに増資する方式が採られ、2017年6月30日までに資本金は24億1,580万ドルへ膨らみ、SOFAZの拠出は12億3,210万ドル(51%分)に達した。国の持ち分から生じる配当はSOFAZへ戻る仕組みである。
TANAPとTAPには域外の資本が入っている。TANAPはSGC 51%、トルコ国営BOTAŞ 30%、BP 12%、SOCARカスピアン・ホールディング 7%。TAPはBP、SOCAR、イタリアのSnam、ベルギーのFluxys、スペインのEnagásが各20%である。TAPが欧州の系統運用者を株主に迎えている点は、この回廊が欧州側のインフラとして組み込まれていることを示す。
収入はどこで生まれるか
SGCの2025年の連結収益は29億8,620万ドル、当期純利益は16億3,085万ドルだった(2024年は32億4,955万ドルと17億1,106万ドル)。内訳を見ると、天然ガスの販売が10億4,283万ドル、原油の販売が3億1,118万ドル、そして輸送収入が16億3,219万ドルである。収益の過半が、ガスを売る事業ではなくガスを運ぶ事業から生まれている。
輸送収入の地理的な内訳はさらにはっきりしている。2025年はトルコが15億679万ドル、アゼルバイジャンが8,026万ドル、ジョージアが4,514万ドルだった。TANAPが通るトルコ区間が収入の源であり、事業区分別でも「流通」部門の純利益14億1,255万ドルに対し、「石油・ガス」部門は2億9,350万ドルにとどまる。回廊の採算は通過料で成り立っていると言ってよい。
税制もこの構造を支えている。TANAP社はトルコ政府との受入国政府協定に基づき、2018年4月7日の税務当局の裁定により法人所得税の対象外とされている。TANAP社は2026年3月26日の定時株主総会で13億3,000万ドルの配当を決議し、3月31日から支払いを始めた。
一方、ガス田側の取り分は薄い。シャフデニズの生産分与契約では、利益分となる石油・ガスの配分が2024年と2025年はいずれも国55%・契約者45%だった。上流の利益は国庫へ向かい、事業会社の利益は輸送で確保される、という役割分担になっている。
負債と格付けも押さえておきたい。2025年末の借入は35億1,968万ドルで、内訳はユーロ債2口(合計約20億4,000万ドル)と、世界銀行(IBRD)、アジアインフラ投資銀行(AIIB)、欧州復興開発銀行(EBRD)、アジア開発銀行の保証付き融資である。ユーロ債は2026年3月23日に元本20億ドルを一括償還した。格付けは2025年にフィッチから長期発行体デフォルト格付けBBB−(安定的)、2026年5月13日にムーディーズから長期発行体格付けBaa3(ポジティブ)をいずれも初めて取得した。どちらもアゼルバイジャンのソブリン格付けが上限になっている。
実績と欧州向けの増量
TAPは商業運転の開始から累計で600億立方メートル超を欧州へ送り、うちイタリア向けが500億立方メートルに達した。輸送先はイタリア、ギリシャ、ブルガリアである。カスピ海側では、SCPの輸送量が2026年1〜7月に133億8,510万立方メートル(前年同期比1.3%増)となり、アゼルバイジャンの幹線ガスパイプライン全体239億8,990万立方メートル(同2.4%増)の55.8%を占めた。
欧州連合はアゼルバイジャンからの輸入を2027年までに倍増させる覚書を2022年に結んでおり、2024年以降はオーストリアやドイツ向けの供給も始まった。2025年1〜9月の輸出はトルコ向けが66.4億立方メートル(40.3%)、イタリア向けが62.5億立方メートル(38.0%)で、この2か国で約8割を占める。ジョージア、ブルガリア、ギリシャが続く。
能力の積み増しは、いまのところ小刻みである。TAPは拡張の第1段階を終え、2026年初から長期の輸送能力を年12億立方メートル上積みした。TAPは運転開始後、少なくとも2年ごとに市場テスト(利用者に拘束力のある予約を募る手続き)を行うことになっており、2019年、2021年、2023年、2025年に実施している。設備を先に造るのではなく、予約が集まった分だけ増やすという順序である。
拡張の壁
TANAPは年160億立方メートルから310億立方メートルへ、TAPは100億から200億立方メートルへ拡張できる設計になっている。しかし拡張には巨額の投資が要り、その前提として長期の販売契約と輸送予約が必要になる。脱炭素の政策目標を掲げる欧州側が20年、30年先までのガス購入を約束できるかという矛盾が、投資判断を止めている。
支出の実績もこれを裏づける。SGCの2025年の設備投資は1億9,847万ドルにとどまり、うち流通部門は1,582万ドルだった。ユーロ債20億ドルの償還と配当に資金が向かっており、大規模な増強に踏み出す段階にはない。
アゼルバイジャン自身の生産にも限りがある。国家統計委員会によれば、2026年1〜7月の商品用天然ガスの生産は228億立方メートルで前年同期比1.0%増、総生産は295億6,580万立方メートルで1.1%増にとどまる。輸出を大きく増やすには、カスピ海を横断してトルクメニスタンのガスを引き込む「トランスカスピ海パイプライン」が要るとされるが、カスピ海の法的地位と環境影響をめぐる調整が長年まとまっていない。
新しい株主 — アブダビの投資会社XRG
2025年11月3日、SGCはアブダビ国営石油会社(ADNOC)の国際投資部門であるXRGがSGCの持ち分を取得することについて、基本条件の合意に署名したと発表した。続いて2026年2月2日、アブダビでのアリエフ大統領とムハンマド・ビン・ザーイド大統領の会談に合わせて、経済省が保有する非支配持ち分の一部をXRGへ売却する売買契約の署名式が行われた。
取得比率と金額は公表されていない。SGCの2025年の財務諸表は、後発事象として「2026年1月31日に売買契約が署名された」と記しており、大統領府が発表した2月2日の署名式とは2日ずれる。契約の署名日と、両首脳の立ち会いによる公式の署名式の日が別々に記録されているとみるのが自然だが、報道の日付を引用するときは、どちらの日付を指しているのか注意が要る。
この取引が重要なのは、これまで国とSOCARだけで閉じていた持ち株会社に、初めて域外の投資家が入ることになるためである。湾岸の資本がカスピ海のガス輸送網の持ち分を取りにきた、という文脈で読むべき動きである。
数字を読むときの注意
第一に、アゼルバイジャンのガス輸出統計は2系列ある。国家統計委員会の2026年1〜6月の輸出は、通関ベースで124億3,080万立方メートル(41億516万ドル)だが、SOCARとBPの資料に基づく系列では133億7,690万立方メートル(48億4,398万ドル)になる。差は9億立方メートル、率にして7.6%で、原油についても同様に2系列が併記される。どちらを引いたかで前年比の増減率まで変わる。
第二に、パイプラインの呼び名が資料でぶれる。SCPは「サウス・コーカサス・パイプライン」「バクー・トビリシ・エルズルム」「南カフカス・パイプライン」と3通りに書かれるが、いずれも同じ管である。
第三に、日付の食い違いがある。シャフデニズの生産分与契約について、SGCは1996年6月4日の署名、SOCARは同年10月17日の署名・発効と記す。署名日と発効日のどちらを指しているかで数か月ずれる。
第四に、延長の値が1キロ単位でぶれる。TAPの全長はTAP社の資料で877キロ、SGCの資料で878キロである。
第五に、能力と実績を取り違えないことである。TANAPの年160億立方メートル、TAPの年100億立方メートルはいずれも設計上の輸送能力であって、実際に流れた量ではない。実績は各国の輸入量や統計委員会の輸送量で確かめる必要がある。
参考資料
- The Southern Gas Corridor — TANAP(4事業の構成と総投資額) ↗
- TANAP Project — TANAP(経路と口径、通過する県) ↗
- Project Background — TANAP(フェーズ0とフェーズ1の日程) ↗
- Shareholders — TANAP ↗
- Cənubi Qafqaz Boru Kəməri (SCP) — 南ガス回廊CJSC(SCPとSCPXの諸元) ↗
- Trans Adriatik Boru Kəməri (TAP) — 南ガス回廊CJSC ↗
- Şahdəniz layihəsi (SD) — 南ガス回廊CJSC(SD1・SD2の日程と生産計画) ↗
- Haqqımızda — 南ガス回廊CJSC(設立の経緯と株主構成の変遷) ↗
- Southern Gas Corridor CJSC 2025年連結財務諸表(収益の内訳、権益、借入、後発事象) ↗
- TAP’s shareholders — Trans Adriatic Pipeline ↗
- Pipeline facts and figures — Trans Adriatic Pipeline(延長、口径、標高、水深) ↗
- One flow, two milestones: 60 bcm delivered to Europe, 50 bcm to Italy — Trans Adriatic Pipeline ↗
- Financing the share of the Republic of Azerbaijan in “Southern Gas Corridor” CJSC statutory capital — アゼルバイジャン国家石油基金 ↗
- İlham Əliyevin Əbu-Dabidə Birləşmiş Ərəb Əmirliklərinin Prezidenti ilə görüşü olub — アゼルバイジャン大統領府(2026年2月2日、XRGへの売却契約の署名) ↗
- Azərbaycanın sosial-iqtisadi vəziyyəti — アゼルバイジャン国家統計委員会の月報(SCPの輸送量、ガス生産と輸出の2系列) ↗
この解説は編集部がまとめたもので、2026年9月時点の情報に基づく。記事とは異なり、新しい事実が 確認できしだい随時更新する。