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ザンゲズル回廊(TRIPP)とは

アゼルバイジャン本土と飛び地ナヒチェバンをアルメニア南部経由で結ぶ輸送路について、2020年11月の停戦合意第9項の原文、アルメニアが掲げる「平和の交差点」の原則、2025年8月のワシントン合意とTRIPP、区間ごとの工事の進み方、送電線、そしてイラン・トルコ・ロシアの利害を、当事国の公表資料にもとづいて整理する。

ザンゲズル回廊は、アゼルバイジャン本土と、アルメニアを挟んだ西側にある飛び地ナヒチェバン自治共和国を結ぶ輸送路である。経路はアルメニア南部シュニク地方の、アラス川に沿ってイラン国境近くを走る区間になる。ここが通れるようになれば、アゼルバイジャンは自国内だけで飛び地へ到達でき、その先のトルコへも陸路でつながる。中間回廊にとっては、ジョージア経由に加えてもう一本の選択肢が生まれることを意味する。

争点は距離ではなく、誰が管理するかである。2020年11月の停戦合意は、アルメニアが輸送路の安全を保証し、輸送の管理はロシアの国境警備機関が行うと定めていた。アルメニアはこれを主権の問題と受け止め、「回廊」という語そのものを避けてきた。2025年8月にワシントンで署名された共同宣言は、この管理の問題を、米国が過半を持つ事業会社に運営を委ねる形で組み替えるものだった。

工事の進み方は区間ごとに大きく違う。アゼルバイジャン領内とトルコ領内は着工して工程が示されている一方、全体の開通時期を決めるアルメニア領内の約42キロは2026年8月時点で着工していない。「回廊が完成する時期」を語るときは、どの区間の話なのかを見分ける必要がある。

つなぐものアゼルバイジャン本土 ↔ 飛び地ナヒチェバン自治共和国。その先はトルコへ通じる
通る場所アルメニア南部シュニク地方。アラス川(アラクス川)沿いのイラン国境近くを走るソ連期の路盤をたどる
アルメニア領内の鉄道区間約42キロ(メグリ付近)。2026年8月時点で未着工
アルメニア側の呼称シュニク回廊。アルメニア政府は自国の連結構想を「平和の交差点」と呼び、「回廊」の語を避ける
米国が示した名称TRIPP(Trump Route for International Peace and Prosperity、国際的な平和と繁栄のためのトランプ・ルート)
根拠となる合意2020年11月10日の露亜アゼ3国首脳声明 第9項。2025年8月8日にワシントンで署名された共同宣言
TRIPP開発会社出資は米国74%、アルメニア26%。アルメニア首相の2026年8月24日の説明による
期間最低49年。双方の合意で延長する場合はさらに50年で、延長後の出資はアルメニア49%、米国51%
整備するもの鉄道、道路、パイプライン、ケーブル、送電線
アゼルバイジャン側の設計輸送能力年1,500万トン(大統領府、2026年8月11日)
ナヒチェバン線現在188キロ、新しい設計では194.2キロ。10駅と3か所の旅客プラットフォームを改築。2025年に設計・工事を開始
国境際の未施工区間サラムメリク駅から国境までの7キロのうち、国境から700メートルは地雷除去とTRIPP経路の設計待ち(同)
先行して動いている区間ホラディズ〜ユハル・マルジャンル〜ソルタンル間30キロが仮供用。2024年5月からアラス渓谷経済特区へ貨物を運び、累計4万3,000トン
トルコ側カルス〜イグドゥル〜ディルジュ鉄道224キロ。2029年末の完成予定。約24億ユーロの協調融資はMUFG銀行が主導した
送電線アゼルバイジャンの「ザンゲズル」送電線。ジャブライル〜アグバンド74キロ・330キロボルト・2回線・1,000メガワットの第1期が97%完成(2026年8月21日)
アルメニア領を横切る送電区間44キロ。施工の時期と取り決めは公表されていない

2020年11月の停戦合意 第9項

この構想の法的な出発点は、2020年11月10日にアゼルバイジャン大統領、アルメニア首相、ロシア大統領が発表した3国首脳声明である。アゼルバイジャン大統領府が公表している英文の第9項は、次のように定める。地域のすべての経済・輸送の連絡を回復する。アルメニアは、アゼルバイジャン西部地域とナヒチェバン自治共和国の間の輸送の安全を保証し、市民、車両、貨物が双方向に妨げなく移動できるようにする。輸送に対する管理は、ロシア連邦保安庁(FSB)国境警備局の機関が行う。当事者の合意により、ナヒチェバン自治共和国とアゼルバイジャン西部地域を結ぶ新しい輸送連絡の建設を確保する。

同じ声明の第6項が、ナゴルノ・カラバフとアルメニアを結ぶ幅5キロのラチン回廊をロシア平和維持部隊の管理下に置くと定めていたため、第9項の連絡路も同じ性格のものとして読まれた。アゼルバイジャン側はこれを「ザンゲズル回廊」と呼び、アルメニア側は自国領を外国の管理下に置くことになるとして反発した。ラチン回廊は2023年に事実上失われ、ロシア平和維持部隊も撤収したため、第9項の枠組みだけが宙に浮いた状態が続いた。

アルメニアの立場と「平和の交差点」

アルメニアは2023年10月26日、トビリシで開かれた国際会議でパシニャン首相が「平和の交差点」という構想を示した。アルメニア、トルコ、アゼルバイジャン、イランとの間の道路、鉄道、パイプライン、ケーブル、送電線を改修・建設・運用するという内容で、首相府が公表した演説には四つの原則が明記されている。

第1に、道路、鉄道、航空路、パイプライン、ケーブル、送電線を含むすべてのインフラは、それが通る国の主権と管轄のもとで運用される。第2に、各国は自国の領域内で、国境管理と税関管理、そしてインフラと通過する車両・貨物・人の安全を、自国の国家機関を通じて確保する。第3に、これらのインフラは国際輸送にも国内輸送にも使える。第4に、すべての国が相互主義と平等にもとづいて利用する。首相は同じ演説で、アルメニア領を通る国際連絡の安全を担う専門部隊を法執行機関の中に新設すると述べている。

これらの原則は、「回廊」という語が含意する治外法権的な扱いを退けるために置かれたものである。アルメニアがこの区間を「シュニク回廊」と呼ぶか、あるいは呼称そのものを避けるのは、この立場の反映である。同時に、アルメニアにとってイランとの唯一の陸上国境がこの区間にあるため、経路の扱いは安全保障の問題でもある。

2025年8月のワシントンとTRIPP

アゼルバイジャン大統領府の記録によれば、アリエフ大統領は2025年8月7日から8日にかけてトランプ米大統領の招きでワシントンを訪れた。8日にホワイトハウスで行われた首脳会談で、両国政府は戦略的パートナーシップ憲章を準備するための戦略作業部会の設置に関する覚書に署名した。同席のもとで米大統領は自由支援法第907条の適用免除を延長する大統領令に署名している。

同じ日に、アリエフ大統領とアルメニアのパシニャン首相が、トランプ大統領の立会いのもとで会談の成果に関する共同宣言に署名した。両国外相は「アゼルバイジャン共和国とアルメニア共和国の間の平和と国家間関係の確立に関する協定」の草案に仮署名し、OSCEミンスク・プロセスとその関連組織の閉鎖を求める共同の要請がOSCE議長国へ提出された。

ここで示されたのがTRIPPである。アゼルバイジャン大統領府は、TRIPPを本土とナヒチェバンの間の妨げのない接続を確保する事業と位置づけ、中間回廊の次の重要な区間になるとしている。さらに、将来はエネルギー資源の輸送、電力とくに再生可能エネルギーの輸出、光ファイバーの敷設にも道を開き、地域を国際的な通商とデジタル通信の結節点へ変えると説明する。

事業会社の形と期間

アルメニアのパシニャン首相は2026年8月24日、国民議会で2026〜2031年の政府活動計画を説明した際に、TRIPP開発会社の枠組みに触れている。出資比率はアルメニアが26%、米国が74%で、この比率は最低49年間続く。期限の後に双方の合意で延長する場合はさらに50年で、延長後はアルメニアの持ち分が49%、米国が51%になり、アルメニア側に追加の出資や負担は求められない。首相はこれを、アルメニアがこれまで持ったことのない100年の計画だと述べた。米国との戦略的協力に関する枠組み協定は批准の段階にあり、会社の設立作業は最終段階にあるという。

首相はまた、TRIPPの鉄道が南部国境沿いのヌルナゾル〜アガラクをアラス川沿いのソ連期の線路の経路で通り、貨物はアガラクからナヒチェバンへ入ると説明した。ソ連期にはそこから鉄道がアララト地方のエラスフを経てシラク地方のアフリクへ抜けてトルコへ入っていたが、この区間はアルメニアの所有でありながらロシアの鉄道の管理下にあるため、対ロシア制裁を踏まえて投資家や荷主が避けようとしている。首相はロシア側に、コンセッションの権利をアルメニアとロシアの双方が受け入れられる第三国へ売却するよう要請していると述べた。要請の段階であって、決着した話ではない。

区間ごとの工事の進み方

アゼルバイジャン大統領府は2026年8月11日、ナヒチェバンでの視察の内容を公表している。それによれば、ザンゲズル回廊に関わる鉄道が完成した後の設計輸送能力は年1,500万トンである。すでにホラディズ〜ユハル・マルジャンル〜ソルタンル間の30キロが仮供用され、2024年5月からアラス渓谷経済特区の工業団地へ貨物を運んでおり、累計は4万3,000トンに達した。

ナヒチェバン線の設計と工事は2025年に始まった。現在の路線長は188キロで、新しい設計では194.2キロになる。10の駅と3か所の旅客プラットフォームを改築する計画である。国境に最も近いのがサラムメリク駅からアルメニア国境までの7キロで、設計を終えて工事に入り、7キロ分のレールと7,000本の枕木が搬入された。9月末までに6.3キロの軌道上部を敷設する計画だが、国境から700メートルの区間は、地雷除去が終わり、TRIPP経路の設計が固まってから着工するとされている。距離の上で最も短い部分が、進め方の上では最も動かしにくい。

トルコ側では、カルス〜イグドゥル〜ディルジュの224キロが2025年に着工し、2029年末の完成が予定されている。トルコ財務省が2025年7月22日に明らかにしたところでは、資金は同省とMUFG銀行が主導する債権団との間で組まれた約24億ユーロの協調融資で、スウェーデンとオーストリアの輸出信用機関、イスラム投資輸出信用保険機構(ICIEC)の保証のもとに国際銀行と機関投資家が参加した。アゼルバイジャン側は、サダラク駅からトルコ国境までの区間をこのカルス〜イグドゥル〜ディルジュ線と技術・設計の両面で整合させる計画である。

アルメニア領内の約42キロは、2026年8月時点で着工していない。ジョージアの調査機関、輸送回廊研究センターは2026年8月27日の分析で、この区間が全体の工程を決めると指摘し、地形の制約からソ連期の路盤をたどるほかないこと、駅舎も橋もトンネルも現行の基準に達していないことを挙げた。同センターは、着工が2027年なら最も楽観的な想定でも完成は2030年へずれると見る。2030年は同センターの見立てであって、当事国が公表した工程ではない。同センターによれば、EBRDの事業化調査は2026年9月に終わり、ADBは同年4月に融資の用意を表明したが承認はまだない。

送電線が先に動く可能性

パシニャン首相は2026年8月24日、TRIPPの枠内で最初に稼働するインフラは送電線になる可能性が高いと述べた。理由として、技術的に短期間で仕上げやすいことと、世界的な電力需要の増加で域内からの電力輸出案件への関心が高まっていることを挙げている。決定ではなく見通しの表明である。

アゼルバイジャン側では送電線の工事が先行している。国営電力会社アゼルエネルジは2026年8月21日、「ザンゲズル」送電線の第1期にあたるジャブライル〜アグバンド間74キロで工事の97%が完了したと発表した。2回線・330キロボルト・送電容量1,000メガワットの高圧送電線で、鉄塔はアンカー型と中間型を合わせて296基、1基あたり平均30トンを超え、高さは45メートル近い。同社は目的を二つ挙げる。飛び地ナヒチェバンを国の統一エネルギーシステムへ完全に統合し、周波数調整の外国依存を解消すること。そして、アゼルバイジャン・ナヒチェバン・トルコ・欧州を結ぶ国際エネルギー回廊を形づくることである。

送電線は4区間からなり、完成が近い74キロを除く残りは、ザンゲズル回廊を通過する44キロ、オルドゥバド〜ナヒチェバン100キロ、ナヒチェバン〜トルコ230キロの合計374キロである。このうち44キロはアルメニア領を横切る。アゼルエネルジの告知は、この区間をいつ、どのような取り決めのもとで施工するのかには触れていない。

周辺国の利害

アゼルバイジャンにとっては、本土と飛び地を陸路で結ぶ長年の目標であり、その先のトルコへ直結する経路でもある。アリエフ大統領は2026年8月23日にタシケントで、アゼルバイジャン国内の工事が活発に進んでいると述べている。

トルコにとっては、カフカスを越えて中央アジアへ至る陸路が短くなる。カルス〜イグドゥル〜ディルジュの建設は、既存のバクー・トビリシ・カルス鉄道に加えて第二の入口を作る事業にあたる。

イランは、この構想に一貫して慎重な立場を取ってきた。アルメニアとの国境が事実上遮断されれば、自国が南カフカスで持つ通過の役割が細るためである。アルメニアが掲げる「平和の交差点」の第1原則(インフラは通過する国の主権と管轄のもとで運用される)は、この懸念にも応える形になっている。

ロシアの位置づけは2020年の合意から変わった。第9項は輸送の管理をFSB国境警備局に委ねると定めていたが、2025年のワシントン合意はその役割を前提としない枠組みを示した。加えて、アルメニア国内の鉄道がロシアの管理下にあることが投資家に避けられているという首相の説明は、ロシアの既得の地位が事業の側から圧力を受けていることを示している。

実現すれば、カスピ海から欧州へ抜ける経路がジョージア経由に加えてもう一本増える。ただし鉄道の新設には数年から十年単位の工期と巨額の投資が要り、合意から実際に貨物が流れるまでの距離は長い。

参考資料

この解説は編集部がまとめたもので、2026年9月時点の情報に基づく。記事とは異なり、新しい事実が 確認できしだい随時更新する。

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